周遊きっぷで九州一周(1日目:大阪〜倉吉)
東京で生まれ育った自分にとって、
東京と四国、九州、新幹線ができる前は北陸にも心理的距離を感じていた。
しかし、大学生になり、大阪で一人暮らしを始めると印象は大きく変わった。
「四国・・・?香川徳島くらいなら淡路島経由で日帰りできるやん!」
「九州・・・?新大阪〜博多と新大阪〜東京は同じくらいやん!」
印象が変わると、今度は自分の足で行ってみたいという衝動に駆られた。
バイトを始めたことに加え、大学合格祝いに伯父から旅行券をたんまりもらったこともあり、僕にとっての未踏の地を制覇する旅に出た。
時に、2012年7月。僕が大学1回生(関西では○年生ではなく○回生と言う)の夏である。
2012年7月13日 13:30
JR大阪駅
(♪:某番組のSE)
不真面目だった自分は金曜日の4限以降の授業をサボって、大阪駅にやってきた。
かるく腹ごしらえをした後、九州に向かうために京都方面の新快速に乗る。
・・・そう、京都方面である。東に向かったのだ。
これには大きく2つの理由がある。
1つはきっぷの制約という問題である。
この旅で使ったきっぷは、今はなき「周遊きっぷ」である。ゾーン圏内(今回は九州全土)の特急の自由席まで乗り放題という、大変ありがたいきっぷである。
しかし、このきっぷの「しばり」がある。簡単に言うと、
「ゾーンの入口およびそこまでのルート」と「ゾーンの出口およびそこからのルート」を異なるものとしなくてはならないということである。
空港を入口ないしは出口として空路という手もあるし、片道新幹線という手もあるが、そうすると値段が高くなる。
トータルで安上がりにしたかった僕は、次の様な折衷案をとった。
○行きは山陰本線経由で門司から入る
○帰りは博多から山陽新幹線で広島まで向かい、そこからは山陽本線で大阪まで帰る
このような「周遊きっぷのしばり」が初手京都の理由の1つ目である。
2つ目は・・・単純に「山陰本線を乗り通してみたい」という好奇心である。
東京で育った人間にとって、山陰地方は(失礼ながら)得体が知れなさすぎる地である。この地を貫く山陰本線を乗り通すことで、山陰地方の何たるかがわかるかも知れない。
そんなことで、大阪から京都へ向かい、そこから山陰本線をひたすら西に進んでいった。
・・・今となっては9年も前の旅なので、細かい記憶はもはやないが、
当時の写真の時間から、大体のスケジュールが見えてくる。
14:20 京都
15:30 園部
17:00 福知山
乗り継ぎに時間があったのだろう、福知山駅前に降りてみたようだ。
今まで地図や時刻表でしか見たことがなかった土地、駅に自分がいる。
この感覚がすごく新鮮で、すごくワクワクして、すごく楽しかったことは覚えている。
19:00 豊岡
日が沈んできた。
20:20 浜坂 もはや真っ暗。
そして夕飯を食べ損ねている。この「食事を後回しにしてしまいがち」という旅の際の僕の悪癖は今も健在である。
21:20 鳥取
久しぶりの大きな街・大きな駅でホッとした。
今ならば「ここでネカフェ」となるが、当時の自分はネカフェ代すら節約しようとして、さらに西に向かった。
22:36 倉吉着
これ以上西には行けない
倉吉駅舎。ブレが酷いなぁ。
ここで翌朝、大事件が発生することを、この時は知る由もない。
さて、この倉吉という町には、宿がわりになるネカフェはない。しかし、それは下調べ済み。
さて、どうしたか。
・・・まずは駅前で開いていたラーメン屋で腹ごしらえ。
(これは下調べしていなかった。食事への優先順位低すぎである。改めて調べてみたらこの店は2021年8月時点も健在の様である。しかも夜中2時半までやっているとは・・・)
その後は・・・歩く。
歩く。
歩く。
ひたすらに、歩く。
・・・歩くこと9km、
時間にして1時間半、
深夜0:40 三朝温泉 河原風呂に到着
・・・と言っても、この暗さじゃ何もわからない。
「河原風呂」は、その名の通り河原に湯船があって「あとはお好きにどうぞ」というタイプの温泉である。
そんなことから24時間、無料で入れるのだ。
こんな時間だし、独り占めできるだろうと思っていたら、他にも何人か入浴している人がいたのは驚きである。
・・・もっとも、周りからしたら、倉吉駅から徒歩で風呂入りに来ていることの方が驚きだろうが。
1:00 熱めだったのでサッと上がった。
趣ある街並みでまた行きたいなぁ、今度は宿泊したいなぁとは思っている。
金なし貧乏大学生はもちろんこんなところに泊まる資金力はないため、来た道を引き返して倉吉駅へ。
途中の道はこんな感じ。
これが延々と9km続く。
深夜3時
倉吉駅に帰り着く。
倉吉駅のコンコース内のベンチには座布団が敷かれている。
ここより良いところはない。
・・・ここをキャンプ地とする!!
始発まで3時間ほど、ここで仮眠を取ったのであった。