周遊きっぷで九州一周(2日目:倉吉〜大分)
不真面目な大学生だった僕は、4限以降の授業をサボって大阪駅へ。
乗り継ぎを繰り返して22時半ごろ倉吉にたどり着く。
しかし、ここからが金なし大学生のイカれたところ。
風呂に入るために三朝温泉の河原風呂まで、片道9kmを歩いたのだ。
倉吉駅に帰り着いたのは深夜3時。夜をあかせる店はない。そこで、僕は駅のコンコースにあるベンチで仮眠を取ることにしたのである。
倉吉駅のベンチには、座布団が一席につき1つずつ置かれていた。ベットにするにはまだ硬いものの、あるだけありがたく使わせていただいたのであった。
この「座布団」が、厄介ごとになるとは知らずに・・・
2012年 7月14日 午前4時半ごろ
倉吉駅コンコース
(♪:某番組SE)
それは、空が明るくなりだした頃合いだった。
話し声が聞こえてふと目を覚ますと、隣のベンチにヤンチャな2人組がいた。
顔つきから、中学生くらいだろうか。でも、絡まれたら面倒くさそうだ。
絡まれたくないなぁ。でも、今露骨に場所を移動すると、それもそれで・・・
どうしようかと悩んでいると、残念なことに、彼らが「おい、メガネ」と絡んできた。
流石に仮眠もしてられない状況なので、でも深く関わりたくもないので、適当に流しつつ、スマホをいじっていた。
その時である。
奴らが倉吉駅の座布団を投げてきたのだ。
しかし、これはある意味、倉吉駅コンコースを離れる理由ができたともとれる。この状況を脱出する好機でもあるのだ。
そう自分に言い聞かせてスマホを回収し、奴らとは反対側の出口へ歩いて向かった。
奴らは座布団を投げつけていた様であるが、流石に飛距離が足りなかったのか、以降は何も当たらなかった。
早朝の倉吉駅でヤンキーに座布団で襲撃される事件
自分史上唯一の旅先で絡まれる案件である。
始発直前に駅に戻って来るまで、駅周辺をぶらぶらして時間を潰した。
大阪方面のスーパーはくとの始発の写真を撮った記憶があるが、画像が見当たらなかった。
始発に乗って爆睡していると、すぐに米子についた。
8:15 米子駅
ここから益田まで、1本で乗り通す。
天気が良くない
9:45 出雲市駅
流石に電化されているだけある。
雨模様の山陰海岸を走る
12:20 益田駅
当時、乾電池式のモバイルバッテリーを使っており、肝心の乾電池が足りなさそうでヒヤヒヤしていたが、
駅直前に車窓から100円ショップのダイソーが見えて安堵した記憶がある。
西に行くにつれ雨足が強くなってきた。
それもそのはず。
2012年7月11日からこの日まで、九州北部で降り続いた雨により、死者30人、行方不明者2人を出しているのだ。
平成24年の九州北部豪雨である。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/平成24年7月九州北部豪雨
豊肥本線を中心に九州内の鉄道に大きな影響を与えたことでも知られる豪雨だが、この豪雨によって、本州・山口県の鉄道も被害を受けていたのである。
この次が下関行き。終わりが見えてきた。
そう思っていた。
長門粟野駅に着いた後、列車は一向に発車しようとしない。
車内放送では大雨の影響、としかわからなかった。
どれくらいの時間が過ぎたころだろうか。
列車は動き始めた。
以降は順調に列車は進んだものの、終点の小串に近づくにつれて、車内放送で不安な話が流れた。
「小串から先の列車の運転の見通しは立っていません。」
日が傾き始めた頃に小串駅には着いた。
だが、この先の列車がいつ来るかわからない。
なんでも幡生駅のポイントが大雨に浸かってやられたからだ、という話を聞いたが、真相はわからない。
当時の自分にとって1番の問題は、運転見合わせの真相ではなく、ここからどうやって下関に向かうか、ということだった。
駅前に降り立つが、何もない。
日がどんどんと傾き、あたりが暗くなっていく。
見通しは立っていない、という。
では、もしかしたら、ひょんな時に接続していたはずの列車がやって来るかも知れない。
そんな淡い期待を持って、同じ列車に乗っていた乗客たちが待っていた。
しかし、列車は来ない。
途方に暮れていた。
1時間ちょっと経った頃だろうか。
乗客の1人から声をかけられた。
なんでも、お金を出し合ってタクシーで下関に向かおうとのことだ。
もちろん、この話にのった。
いや、のらないという選択肢はなかった。
倉吉駅では仮眠できた僕だったが、この駅ではそれすらできない。それくらい、何もなかったし、あてもなかった。
話がまとまり、タクシーを呼ぼうという段階で、小串駅の駅員か、列車の運転手か、
とにかくJRの社員が乗客のリーダーと話ししている。
タクシー代をJRが負担するとのことだった。
下関に着いたのは、夜の8時過ぎだった。
着くには着いたが・・・目的の1つであった「山陰本線一気通貫」は未達成となったのであった。
下関に着いた頃には雨は弱まっており、すんなりと電車で関門海峡を潜って小倉に渡ることができた。
九州上陸。まずは・・・
は ら へ っ た
しかしこの時、時刻は夜の9時半
にも関わらずこの盛況振りである。
というのも、九州北部豪雨の影響で特急が遅れに遅れ、ダイヤがとんでもないことになっていたのである。
ホームは人でごった返してた。
しかし、これは僕にとってはむしろ追い風。
僕が持っているのは周遊きっぷなので、ここからは特急にも乗れる。
指定券をとっていない自分にとって、特急の遅延とは「終電が延びた」ことを意味する。
・・・いける、いけるぞ!
本来何時発かわからないが、とにかくやってきた特急に乗り、大分へ向かう。
初九州、初水戸岡デザインの特急はソニックでした。
11時40分 大分駅着
駅前にあった「ホテル豊の国健康ランド」にて雑魚寝。
「スーパー銭湯で雑魚寝」という一晩を明かす術を知ったのはこの時であるだけに、今はもうないというのが悲しい・・・。
しかし・・・今から思い返しても、長い一日だった・・・