周遊きっぷで九州一周(3日目:大分〜長崎)
未明の倉吉駅で地元のヤンキー(恐らく年下)に座布団を投げつけられるという事件から始まり、
山陰本線乗り通しを大雨のため小串駅で断念せざるを得なくなると、不運続きの2日目・・・
しかし、何とか九州に上陸すると、ここからはようやく周遊きっぷが力を発揮する区間、
夜10時ごろ小倉にやって来た特急に乗り、深夜に大分駅にたどり着いた。
今はなき「豊の国健康ランド」で入浴のち就寝。
人生初の「スーパー銭湯の仮眠どころでの宿泊」であった。
・・・多くのことがありすぎた1日だった。
2012年7月15日 午前8:00
(♪:某番組のSE)
本来ならば、宮崎方面の最初の特急(7時台)になろうと思っていたのだが、疲れが溜まっていたのか起床できず
大分駅構内の売店で朝ごはんを買ってから8時台の特急で宮崎へ向k・・・
・・・え、待って、
朝ごはんの鶏めしおにぎり、めちゃくちゃ美味い・・・!!
後日、大分出身の友人に聞いたら
「あれ、おいしいですよねぇ」と言っていた。
地元では名前の知れているブランドらしい。
今でもちょくちょく通販で取り寄せているくらい、気に入ってしまった。
いやぁ、、、完全に不意打ちだった、、、
でも、これは良い不意打ち。
昨日までの大雨(九州豪雨)が嘘のように良い天気
宮崎のリニア実験線跡
11:30 宮崎駅に着く
駅前にはヤシの木、南国だなぁ。
(・・・それ以外目ぼしいものは見当たらなかったのは内緒)
その後、さらに特急を乗り継ぎ、都城へ。
当時ハマっていた位置情報ゲーのチェックポイントだったので、ここでしばし時間を潰す。
うーん、でも、ただ時間潰すのはもったいないなぁ、
と思って地図を見ていると閃いた、
この後どうせ鹿児島に向かうし、西都城まで歩こう!
都城市街をお散歩だ!!
・・・の前にお手洗い、、、
無事死亡
近くのイオンに駆け込んだ記憶が朧げに残っている・・・
そんな因縁のある都城駅
ここから西都城駅まで歩く
・・・趣深いなぁ、
(当時の僕は大学1回生、もちろん未成年なのでこのようなお店に入ったことはない)
見知らぬ街を歩く
街を歩いている人は誰1人として、自分のことを知らないし、この先の人生で会うこともないだろう
でも、そんな人たちにも、その人たちだけの人生を持っている
何だか不思議な感覚だ
フラフラ歩いて1時間ほどで西都城駅に着く
高架駅でなかなか立派やん・・・!
でも中は「昔は栄えていましたけど・・・ね」って感じの駅舎だった
そうか、昔は東京からの寝台特急の終着駅にもなっていたのか・・・
ここから特急に乗って鹿児島方面へ、
その際にこれを購入
かしわめし駅弁・・・!有名なやつ!
うむ、うまい!
うまい!
うまい!
・・・のだが、
ついさっき、大分でバカうまな鶏めし食べてしまったからなぁ・・・
鹿児島中央行きの特急を、あえて隼人で下車する
お目当ては・・・
「はやとの風」・・・!
こいつに乗りたかった!
うーん、おされ。
床も照明もこだわっているなぁ・・・
あっという間に鹿児島中央駅に到着
ここからは熊本方面に向かいたいのだが・・・
この旅で使っている「周遊きっぷ」は、新幹線に乗ることはできないのである・・・。
かといって、肥薩線経由だとすごく時間がかかる・・・
・・・ここは、仕方がない、
しかし・・・本当に「ワープ」かと思えるくらいあっという間だった。
危うく寝過ごすところだった・・・。
「九州一周」を銘打っているわけだし、鳥栖まで北上したら長崎方面に向かおう。
新幹線が開業したこともあり、新八代から北の鹿児島本線は、周遊きっぷの相棒となる在来線特急がほとんど走っていない。
九州のおへそ くーまーもーとっ♪
明るいけど、時刻は既に18時30分
20時30分、鳥栖に到着
ここからは・・・ようやく特急に乗れる・・・!!
やってきた長崎行きの特急かもめに乗る
・・・お、白いかもめってやつだ!
すげー・・・自由席なのに革張り座席すげー・・・。
佐賀までは結構混んでいた印象がある。
ビジネス利用が多い区間なのだなぁと思いました。まる。
さて、時刻は23時、
長崎で一泊することになるわけだが、
〇風呂
〇食事
〇宿
かもめに乗るまで全てノープランだった・・・!
うーん、宿はネカフェにするとして、
食事は・・・どうせなら長崎の名物を食べたいな。ちゃんぽんとか。
・・・いや、でも、温泉施設が閉まるのが一番早いか?
よし、まずは温泉だ。
調べているとよさげな温泉施設を見つけたので、長崎の1つ手前の浦上駅で下車、
そこから坂を上ったところにある稲佐山温泉ふくの湯へ
長崎の夜景を一望できる露天風呂・・・素晴らしいね。
個人的な見解だけど、
東京とか神戸とかの夜景も綺麗だけど、ギラギラしていて生活感が感じられない
街の形が見て取れる長崎や函館の夜景の方が「街の夜景」という感じがして好みだ
・・・1番のお気に入りは甲府盆地ですけどね
(隙あらば甲府)
日付が変わるくらいまで粘って風呂を満喫した
次は・・・宿の確保かな、
と思ってネカフェを探す・・・
が、当たり前だが長崎の中心街にしかない。
こちとら稲佐山の中腹にいるし、
0時なのでバスもない
・・・よし、歩くか
(今から思い返すと・・・昔の自分、歩きすぎやな・・・)
深夜の長崎を歩いて1時間、中心街に到着
この時間(深夜1時過ぎ)にも開いていたお店でちゃんぽんを食べ、
お姉さんから「アソンデカナイ?」とカタコトで言われつつ、ネカフェに到着
当時の自分はケチって座席タイプのシートを選んだ気がする
もちろんまともに寝れず、しかもマンガを読んで過ごしたような記憶がある
・・・当時の自分は体力があったなぁ
周遊きっぷで九州一周(2日目:倉吉〜大分)
不真面目な大学生だった僕は、4限以降の授業をサボって大阪駅へ。
乗り継ぎを繰り返して22時半ごろ倉吉にたどり着く。
しかし、ここからが金なし大学生のイカれたところ。
風呂に入るために三朝温泉の河原風呂まで、片道9kmを歩いたのだ。
倉吉駅に帰り着いたのは深夜3時。夜をあかせる店はない。そこで、僕は駅のコンコースにあるベンチで仮眠を取ることにしたのである。
倉吉駅のベンチには、座布団が一席につき1つずつ置かれていた。ベットにするにはまだ硬いものの、あるだけありがたく使わせていただいたのであった。
この「座布団」が、厄介ごとになるとは知らずに・・・
2012年 7月14日 午前4時半ごろ
倉吉駅コンコース
(♪:某番組SE)
それは、空が明るくなりだした頃合いだった。
話し声が聞こえてふと目を覚ますと、隣のベンチにヤンチャな2人組がいた。
顔つきから、中学生くらいだろうか。でも、絡まれたら面倒くさそうだ。
絡まれたくないなぁ。でも、今露骨に場所を移動すると、それもそれで・・・
どうしようかと悩んでいると、残念なことに、彼らが「おい、メガネ」と絡んできた。
流石に仮眠もしてられない状況なので、でも深く関わりたくもないので、適当に流しつつ、スマホをいじっていた。
その時である。
奴らが倉吉駅の座布団を投げてきたのだ。
しかし、これはある意味、倉吉駅コンコースを離れる理由ができたともとれる。この状況を脱出する好機でもあるのだ。
そう自分に言い聞かせてスマホを回収し、奴らとは反対側の出口へ歩いて向かった。
奴らは座布団を投げつけていた様であるが、流石に飛距離が足りなかったのか、以降は何も当たらなかった。
早朝の倉吉駅でヤンキーに座布団で襲撃される事件
自分史上唯一の旅先で絡まれる案件である。
始発直前に駅に戻って来るまで、駅周辺をぶらぶらして時間を潰した。
大阪方面のスーパーはくとの始発の写真を撮った記憶があるが、画像が見当たらなかった。
始発に乗って爆睡していると、すぐに米子についた。
8:15 米子駅
ここから益田まで、1本で乗り通す。
天気が良くない
9:45 出雲市駅
流石に電化されているだけある。
雨模様の山陰海岸を走る
12:20 益田駅
当時、乾電池式のモバイルバッテリーを使っており、肝心の乾電池が足りなさそうでヒヤヒヤしていたが、
駅直前に車窓から100円ショップのダイソーが見えて安堵した記憶がある。
西に行くにつれ雨足が強くなってきた。
それもそのはず。
2012年7月11日からこの日まで、九州北部で降り続いた雨により、死者30人、行方不明者2人を出しているのだ。
平成24年の九州北部豪雨である。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/平成24年7月九州北部豪雨
豊肥本線を中心に九州内の鉄道に大きな影響を与えたことでも知られる豪雨だが、この豪雨によって、本州・山口県の鉄道も被害を受けていたのである。
この次が下関行き。終わりが見えてきた。
そう思っていた。
長門粟野駅に着いた後、列車は一向に発車しようとしない。
車内放送では大雨の影響、としかわからなかった。
どれくらいの時間が過ぎたころだろうか。
列車は動き始めた。
以降は順調に列車は進んだものの、終点の小串に近づくにつれて、車内放送で不安な話が流れた。
「小串から先の列車の運転の見通しは立っていません。」
日が傾き始めた頃に小串駅には着いた。
だが、この先の列車がいつ来るかわからない。
なんでも幡生駅のポイントが大雨に浸かってやられたからだ、という話を聞いたが、真相はわからない。
当時の自分にとって1番の問題は、運転見合わせの真相ではなく、ここからどうやって下関に向かうか、ということだった。
駅前に降り立つが、何もない。
日がどんどんと傾き、あたりが暗くなっていく。
見通しは立っていない、という。
では、もしかしたら、ひょんな時に接続していたはずの列車がやって来るかも知れない。
そんな淡い期待を持って、同じ列車に乗っていた乗客たちが待っていた。
しかし、列車は来ない。
途方に暮れていた。
1時間ちょっと経った頃だろうか。
乗客の1人から声をかけられた。
なんでも、お金を出し合ってタクシーで下関に向かおうとのことだ。
もちろん、この話にのった。
いや、のらないという選択肢はなかった。
倉吉駅では仮眠できた僕だったが、この駅ではそれすらできない。それくらい、何もなかったし、あてもなかった。
話がまとまり、タクシーを呼ぼうという段階で、小串駅の駅員か、列車の運転手か、
とにかくJRの社員が乗客のリーダーと話ししている。
タクシー代をJRが負担するとのことだった。
下関に着いたのは、夜の8時過ぎだった。
着くには着いたが・・・目的の1つであった「山陰本線一気通貫」は未達成となったのであった。
下関に着いた頃には雨は弱まっており、すんなりと電車で関門海峡を潜って小倉に渡ることができた。
九州上陸。まずは・・・
は ら へ っ た
しかしこの時、時刻は夜の9時半
にも関わらずこの盛況振りである。
というのも、九州北部豪雨の影響で特急が遅れに遅れ、ダイヤがとんでもないことになっていたのである。
ホームは人でごった返してた。
しかし、これは僕にとってはむしろ追い風。
僕が持っているのは周遊きっぷなので、ここからは特急にも乗れる。
指定券をとっていない自分にとって、特急の遅延とは「終電が延びた」ことを意味する。
・・・いける、いけるぞ!
本来何時発かわからないが、とにかくやってきた特急に乗り、大分へ向かう。
初九州、初水戸岡デザインの特急はソニックでした。
11時40分 大分駅着
駅前にあった「ホテル豊の国健康ランド」にて雑魚寝。
「スーパー銭湯で雑魚寝」という一晩を明かす術を知ったのはこの時であるだけに、今はもうないというのが悲しい・・・。
しかし・・・今から思い返しても、長い一日だった・・・
周遊きっぷで九州一周(1日目:大阪〜倉吉)
東京で生まれ育った自分にとって、
東京と四国、九州、新幹線ができる前は北陸にも心理的距離を感じていた。
しかし、大学生になり、大阪で一人暮らしを始めると印象は大きく変わった。
「四国・・・?香川徳島くらいなら淡路島経由で日帰りできるやん!」
「九州・・・?新大阪〜博多と新大阪〜東京は同じくらいやん!」
印象が変わると、今度は自分の足で行ってみたいという衝動に駆られた。
バイトを始めたことに加え、大学合格祝いに伯父から旅行券をたんまりもらったこともあり、僕にとっての未踏の地を制覇する旅に出た。
時に、2012年7月。僕が大学1回生(関西では○年生ではなく○回生と言う)の夏である。
2012年7月13日 13:30
JR大阪駅
(♪:某番組のSE)
不真面目だった自分は金曜日の4限以降の授業をサボって、大阪駅にやってきた。
かるく腹ごしらえをした後、九州に向かうために京都方面の新快速に乗る。
・・・そう、京都方面である。東に向かったのだ。
これには大きく2つの理由がある。
1つはきっぷの制約という問題である。
この旅で使ったきっぷは、今はなき「周遊きっぷ」である。ゾーン圏内(今回は九州全土)の特急の自由席まで乗り放題という、大変ありがたいきっぷである。
しかし、このきっぷの「しばり」がある。簡単に言うと、
「ゾーンの入口およびそこまでのルート」と「ゾーンの出口およびそこからのルート」を異なるものとしなくてはならないということである。
空港を入口ないしは出口として空路という手もあるし、片道新幹線という手もあるが、そうすると値段が高くなる。
トータルで安上がりにしたかった僕は、次の様な折衷案をとった。
○行きは山陰本線経由で門司から入る
○帰りは博多から山陽新幹線で広島まで向かい、そこからは山陽本線で大阪まで帰る
このような「周遊きっぷのしばり」が初手京都の理由の1つ目である。
2つ目は・・・単純に「山陰本線を乗り通してみたい」という好奇心である。
東京で育った人間にとって、山陰地方は(失礼ながら)得体が知れなさすぎる地である。この地を貫く山陰本線を乗り通すことで、山陰地方の何たるかがわかるかも知れない。
そんなことで、大阪から京都へ向かい、そこから山陰本線をひたすら西に進んでいった。
・・・今となっては9年も前の旅なので、細かい記憶はもはやないが、
当時の写真の時間から、大体のスケジュールが見えてくる。
14:20 京都
15:30 園部
17:00 福知山
乗り継ぎに時間があったのだろう、福知山駅前に降りてみたようだ。
今まで地図や時刻表でしか見たことがなかった土地、駅に自分がいる。
この感覚がすごく新鮮で、すごくワクワクして、すごく楽しかったことは覚えている。
19:00 豊岡
日が沈んできた。
20:20 浜坂 もはや真っ暗。
そして夕飯を食べ損ねている。この「食事を後回しにしてしまいがち」という旅の際の僕の悪癖は今も健在である。
21:20 鳥取
久しぶりの大きな街・大きな駅でホッとした。
今ならば「ここでネカフェ」となるが、当時の自分はネカフェ代すら節約しようとして、さらに西に向かった。
22:36 倉吉着
これ以上西には行けない
倉吉駅舎。ブレが酷いなぁ。
ここで翌朝、大事件が発生することを、この時は知る由もない。
さて、この倉吉という町には、宿がわりになるネカフェはない。しかし、それは下調べ済み。
さて、どうしたか。
・・・まずは駅前で開いていたラーメン屋で腹ごしらえ。
(これは下調べしていなかった。食事への優先順位低すぎである。改めて調べてみたらこの店は2021年8月時点も健在の様である。しかも夜中2時半までやっているとは・・・)
その後は・・・歩く。
歩く。
歩く。
ひたすらに、歩く。
・・・歩くこと9km、
時間にして1時間半、
深夜0:40 三朝温泉 河原風呂に到着
・・・と言っても、この暗さじゃ何もわからない。
「河原風呂」は、その名の通り河原に湯船があって「あとはお好きにどうぞ」というタイプの温泉である。
そんなことから24時間、無料で入れるのだ。
こんな時間だし、独り占めできるだろうと思っていたら、他にも何人か入浴している人がいたのは驚きである。
・・・もっとも、周りからしたら、倉吉駅から徒歩で風呂入りに来ていることの方が驚きだろうが。
1:00 熱めだったのでサッと上がった。
趣ある街並みでまた行きたいなぁ、今度は宿泊したいなぁとは思っている。
金なし貧乏大学生はもちろんこんなところに泊まる資金力はないため、来た道を引き返して倉吉駅へ。
途中の道はこんな感じ。
これが延々と9km続く。
深夜3時
倉吉駅に帰り着く。
倉吉駅のコンコース内のベンチには座布団が敷かれている。
ここより良いところはない。
・・・ここをキャンプ地とする!!
始発まで3時間ほど、ここで仮眠を取ったのであった。
すた丼とサウナを求めてツーリング
多摩地区に住んでる成人男性なら、2〜3ヶ月に1回はこう思うことがあるのではないだろうか?
すた丼食いてぇ・・・
2021年8月28日 17:30
八王子市内某所 自宅
(♪:某番組SE)
土曜日の仕事が終わり、明日は休みの日
人に会う予定もないなぁ・・・
にんにく、大丈夫だな・・・
すた丼食いてぇ・・・
僕は(自称)できる社会人なので、即断即決即行動、
晩御飯をすた丼に定めて動く
しかし、ここからが問題、
京八にすた丼のお店はあるが、そこは出るのに自宅からではバスで20分以上はかかる
かと言ってバイクに乗るのも、この時間の駅前を走るのは楽しくない
加えて、バイクは駐車場に大きな制約がある
バイクは基本的にバックができないので、
舗装されていて、フラットでそこそこ広い駐車場でないと、取り回しが面倒くさい
てなわけで西八店はパス
加えてもう一つの欲望が「サウナに行きたい」である
今日はめんどくさくてやりたくなくて後回しにしていた仕事を終えたので、そのご褒美にサウナにも行こう
この2つの欲望を満たすには・・・
ルート案を固めてから、バイクにまたがった。
20時縛りもあるし、まずは、すた丼屋に行こう、
僕が選んだすた丼の店は・・・
18:25
中央道 談合坂SA
舗装されていて、フラットで、とても広い駐車場を持っているすた丼屋である・・・!
他の店舗より若干高いが、それでもいつ来てもここのすた丼屋は人が並んでいる。
とある筋の情報だと、談合坂のすた丼屋は、全店舗の中でも儲かっている方だそう。
ここですた丼欲を満たして、次なる欲望であるサウナ欲を満たしに行く。
わずか30分でこんなに暗くなっている・・・!!
日が暮れるのが早くなってきた。
夏もそろそろ終わりだなぁ・・・
その後、中央道を西へ走る
目指すは・・・
みたまの湯
八王子からなら高速で1時間ちょっとで来れる上に、
夜の22時までやっている温泉施設である
加えて、この眺望である
サウナからの水風呂からの外気浴の際は、これを眼前に至福のひとときを過ごせるのである
はぁ、たまらん
・・・しかし、最近よくここに行っているなぁと思って数えたら、この1か月間で4回も行っていた
・・・ちょいとストレス溜まってるし、まぁいいか。
風呂上がりの一杯
(ホントはこのブランドのグレープフルーツの方が好みではあるのだが・・・)
21時半ごろまでまったりしてから出発
帰りは時間に追われることはないので、下道で八王子まで帰ろう
甲府から八王子までの下道コースはいくつかあるが・・・
今日は精進湖から富士吉田を抜けて、山中湖から道志みち、と辿ることにしよう
そういえば、山梨の道のツーリングコースの名前って、
精進ブルーラインとか、大菩薩ラインとかの「〜ライン」って名前なのはまぁ、よくあるタイプなのだけど、
道志みちや御坂みちなんかの「〜みち」って名前の道路は他県では見ないような気がする
山梨独特の文化かも知れない
ふむ、「〜みち」、何があったっけ?
道志みち、御坂みちに加えて・・・
富士みち、本栖みち・・・
雁坂みち、って言ったっけ??
しかし、この時間(22:30)に空いているお店もないためパス
もう少し走って山中湖畔の駐車場で休憩
この時期、この時間帯の富士山が良いのだよなぁ・・・
山肌に一列に並ぶ登山道・山小屋の明かりが、山屋の自分にとっては趣深いなぁ、
富士山、中学生のころに1回登ったっきりである
・・・いつになったら(色々な意味で)また登れるだろうか、、、
その後は道志みちをのんびり流して帰る
・・・そうか、明日は日曜日、お休みか、
どうりで走り屋が多かったわけだ・・・
怖い怖い・・・
真夜中の首都高ツーリング
まったくもってその通りだと思う
夏の昼間は暑くて暑くて、バイクに乗る気になれない。
なので、夏の間はもっぱらナイトツーリングを嗜むわけだが、
なんでも、オリンピック・パラリンピック期間は夜の首都高が半額になるらしい。
これは行くしかない・・・
ついでに、行きたいなと思っていたけど、機会がなくて行けていなかった、あの場所を目指してみるか。
2021年 8月27日 22:30
八王子市某所 自宅
(♪:某番組のSE)
・・・寝れない。
こんな夏の日はナイトツーリングに限る。
・・・首都高が半額になっているし、軽く流しにいくか。
バイクに跨って八王子インターへ、
そこから都心方面にバイクを走らせる
30分ほどで永福PAに到着
ここら辺から、the首都高という感じの雰囲気になって楽しい
江戸橋JCTからごちゃごちゃとした分岐を慎重に抜けて、目的地へ・・・
なんだこの行きづらさは・・・!
僕は基本、道に迷うことはないのだが、ここは本当に行きづらい
・・・まぁ、だからこそ行ってみたかったんですけどね
建物内はなんの変哲もない簡素なPAだった
ここからは八王子に帰るのだが、せっかくなのでレインボーブリッジをわたって帰ろう
・・・はぁ、至福
東京タワーも見えて、これぞ東京という光景
はぁ、気持ちええ・・・
だがしかし、ツーリングの際に綺麗な風景を見かけても、これを写真におさめることはなかなかにハードルが高い
と言うのも、「その景色を見ながらバイクで走る」ことが至高であるのだから、わざわざバイクを止める気にはなれないのだ
・・・ましてや、高速道路を走行中なら法的にも無理である
とか考えていたら、レインボーブリッジを渡った直後に芝浦PAなるものがあるらしい。
これは・・・綺麗な写真が撮れるに違いない・・・!!
・・・レインボーブリッジを探せ!!
24時間耐久ツーリング
本来ならば、バイクにテント載っけて遠くに行く予定だった。
ひたすらバイクで遠くまで走り、
人が少ないテント場にテントを張り、
火器を駆使して食事を作り、
そのままテントの中で眠る。
それを繰り返すような、そんな旅をするはずだった。
しかし、それが堂々とできない。
どこかに泊まる、というと白い目で見られる。そんな状況だった。
そんな2020年の夏、ならばこんな旅はどうだろうか?と閃いた。
高速道路を使わずに、24時間でどこまで行って帰って来れるのか?
日帰りツーリングチャレンジである。
2020年8月19日 23時50分
東京都八王子市内 某コンビニ駐車場
(♪:某番組SE)
コンビニの前でヤンキーがたむろしていた。
なんでも仲間の1人が警察が来たからって逃げ出してダセぇ、という話だ。
「俺なら逃げねぇぜ」みたいな事をリーダーっぽいのが言っていた。
そんな事を小耳に挟みながらコンビニに入り、コーヒーを買う。
どこまで行けるか検討はつかないが、とりあえずは甲州街道を西へ行き、松本から白馬を抜けて日本海を目指すことにした。
コーヒーを口に含み、ヘルメットを被り、日付が変わった事を確認して出発。
24時間ツーリング開始である。
・・・コンビニの駐車場に自分のバイクと入れ替わりでパトカーが入ってきた。
ミラー越しに見ていたが、宣言通りさっきのヤンキーは逃げなかった。えらい。
甲州街道を西に走る事2時間弱、甲府のガソリンスタンドで給油兼小休止。
途中の大垂水峠に走り屋らしき人たちがいたこと以外は特筆することはなかった。
というのも、「甲府盆地は裏庭」と思うくらい甲府までの道は色々走っており、
夏は深夜ツーリングもよく行っているので、ただひたすらに走り慣れた道、という感覚だった。
しかし、この先はそうはいかない。
甲府から先に行くとしたら普通は中央道を使う。そのため、甲府から先の甲州街道は走ったことがなかった。
そこまでワインディングはないだろうが、慎重に、でも楽しんで走る。
そこから「ゾーン」に入るまで、時間はかからなかった。
スポーツでよく話題になるゾーンだが、僕は登山の時とバイクツーリングの時にゾーンに入った経験がある。
前者では、いくらペースをあげても疲れることなくガンガン進むことができる、いわゆるクライマーズ・ハイ状態になる。
後者では、「このままどこまででも走っていられる」「むしろどこまで走ることができるか挑戦したい」そんな感覚になる。
その感覚を試したいからこその、この挑戦でもあるのだ。
このまま、暗いうちに、暑くならないうちに、ただひたすらに走る、走る、走る・・・
それから2時間、国道20号の端点を超えた直後、塩尻のマクドナルドで朝食をとる。
ちょうど朝マックが始まる午前4時であった。
ここまで180km。まだ旅は始まったばかり。
腹ごしらえをすまして出発する頃には、空が明るくなり始めていた。
朝靄の安曇野を抜けて、次の休憩は朝6時少し前、白馬駅を越えた直後くらいの名もなき駐車場(かどうかも怪しい空き地)だった。
モルゲンロートというやつがあまりにも綺麗過ぎて、思わずバイクを止めてしまった。
高校生の頃までは山屋だった記憶が蘇ってきた。また北アルプスに登りたいものである。
白馬からは標高がどんどん下がり、それにつれてどんどん暑くなってきた。
糸魚川で日本海に突き当たる。迷わず西を選び、次の休憩は道の駅親不知。一度来てみたかったところである。
海岸に出ることができた。砂というよりは石の浜で、天然の足ツボマッサージ場だった。
そしてなにより、この光景である。
天下の険、親不知。
これを抜けるためにわずかな陸地を辿った国道。
大胆に海に突き出る高架を作った高速道路。
ここまでダイナミックな土木構造物はそうそうないだろう。
すごく、好きな光景だ。
だがしかし・・・暑い。暑すぎる。
海抜0mとはいえ、まだ7時前なのに・・・嘘だろ・・・
そこからは国道8号をひたすら西進する我慢の時間帯。
ちょうど朝の通勤時間帯とも重なり、富山市中心部に向けて渋滞していた。
暑い。ただひたすらに暑い。
富山市内でガソリンを入れて、さらに西に向かう。
高岡で北に進路を変えて、海岸線に出る。
お目当てはオサレな道の駅、雨晴である。
これが、道の駅・・・だと?!
オサレにも程がある!
建物に入って涼もうと思ったら、ちょうど氷見線の列車がやってきた。
しかし、良い天気である。
10時の開店を待って、パフェを食べる。
本来、僕は辛党なのだが・・・我慢ができなかった。
ああぁ、生き返る・・・。
そういえば、この時どこかのテレビ局が取材に来ていた。
タレント無しの食レポって、あーやって作るんだなぁ、と思いました。まる。
ここまで来たら、もう、あの場所を目指すしかない。
八王子を出てから11時間20分、
距離にして435km、
・・・やった、やったぞ。たどり着いた、、、
千里浜なぎさドライブウェイ!!
・・・いや、実は最初から目標にはしていたのだが、本当にたどり着けるかが不安で・・・
しかも最高の天気!よき!
途中の道の駅でアイスを食べて体を冷やした後、南端までのんびりと流した。
達成感に浸ってはいるが、そこまでのんびりしてはいられない。
ここから高速を使わず、この日のうちに八王子に帰らないとならないのだ。
ここから2時間ほどは、正直、あまり記憶がない。
石動の駅前を通って、砺波の中心街を通って、どこかのコンビニで休憩して、八尾から東進して国道41号にぶつかったところで、給油ついでに大休止。
恐らく、ここまで熱中症気味だったと思う。
対策として冷感タイツを上下着用していたが、それでもやはり真夏の昼間は暑い。
休憩できるコンビニはいくらでもあったが、休憩回数を増やすとその分距離が稼げないと思い、この間1回のみの休暇だった。ここが反省点だろう。
※このツーリングの後、この反省からパニアケース内に入れることができるコンパクトクーラーボックスを導入した。なお、今現在このクーラーボックスは道の駅で買った野菜類を持ち帰るのに非常に役立っている。
しかし、これでようやく平地は終わり、ここからは標高をひたすら稼いでいく。
涼しくなるはずだ。
直後の道の駅スカイドーム神岡で休憩。
ここでは涼みがてらカミオカンデの勉強をした。
一粒ひとつぶが意外と大きいのだなぁ、と。
あと牛乳が美味しかった。
少し東進して道の駅奥飛騨温泉上宝でも小休止。
家に帰ってから知ったのだが、この日は新穂高ロープウェイの夜間運行日だったそうで、ここにテント張って星空を見に行くのもよかったなぁと、少し後悔していたりする。
モン○ンとのコラボグッズを漁って(これが目的)から出発。
ここから松本までは一度走ったことがある道。
安房トンネルを抜けて、そこからの158号は高校時代の山岳部の夏学校で上高地へアプローチするのに使った、馴染みのあるところ。
そして松本からは・・・今朝走った道である。
日が暮れ出した19時ごろ、
国道20号に入った直後の道の駅小坂田公園に着いた僕は疲労困憊だった。
・・・いや、ここから八王子まで下道は、、、もうムリ。限界。
岡谷から高速使って、気楽にのんびり帰ろう。
心が折れた僕は岡谷から高速乗る気満々で出発した。
そうして道の駅を出た直後の青看にこう記されていた。
甲府 82km
これを見た僕はこう考えた
・・・行けるやん!
だってさ、82kmってことは、2時間弱で甲府やろ?
甲府は僕にとっては裏庭みたいなもんだから、甲府から八王子までは実質ノーカン。
行ける行ける・・・!!
(注:甲府から八王子までの道のりは90km〜100kmほどある)
塩尻~甲府の中間地点くらいの富士見で休憩し、予想通り2時間ほどで裏庭・甲府にたどり着いた。
時刻は21時
この時間帯なら甲府から八王子まで下道でも2時間程度。
・・・これは、勝ち申した。
コンビニで軽食を食べながら、大菩薩ライン経由で帰ってやろうかと考えてしまうくらいには元気になっていた。
なんたって、甲府にまで帰ってきたのだから。
(注:甲府から八王子までの道のりは90km〜100kmほどある)
結局、甲府からは大人しく甲州街道を走って、23時過ぎに八王子の自宅に到着。
【結論】
八王子からだと、高速を使わずに
23時間 828.7km走って
石川県の千里浜なぎさドライブウェイまで往復できる
加えてお尻が痛くて、もうしばらくバイクは乗りたくないって思いました。
・・・
帰り着いた時は・・・ね、
また1週間もしたら日帰り600km級のツーリングしたりしたときの話は、また別の機会に・・・
でも、今振り返ってみても・・・
この旅1番の思い出は、スタート直後の
「ヤンキー、宣言通り警察から逃げなかった」
ってことなのは・・・釈然としないなぁ・・・
久しぶりの18きっぷ旅(3日目:大阪〜東京)
東京から新大阪まで、新幹線で往復すると3万円ほどかかる。
これを18きっぷ12000円で済ますので、この時点で既に18000円もお得になっている。
(この考え方は某実況系ユーチューバーから学んだ)
これだけお得になったので、名古屋からは念願のひのとり、それもプレミアムシートで難波まで向かい、
その後もラーメンにスーパー銭湯にラーメンにライブと、贅を尽くす1日となった。
おまけに、難波で近鉄の優待券を名古屋より400円もお得に買えたので、調子乗って帰りもひのとりに乗って帰ることにしたのであった。
・・・大学生時代の18きっぷ旅なら、100%米原経由で大阪往復していた。
これが・・・社会人か・・・。
2021年8月22日 午前7時30分
大阪心斎橋 ホテルcargo
(♪:某番組のSE)
このホテルには、なんと大浴場があるので、朝から一発キメたった。
心斎橋の街中で、3000円で泊まれてこのクオリティは素晴らしい。
ただ・・・本当に細かいことだが・・・
フロントにその日と翌日に近隣で開催されるライブ情報が手書きでまとめられているのだが、
僕が参加したアーティストのライブについて記載が無かったのである!!
全国区になってきたなと思っていただけに・・・ちょっと悲しかった・・・。
しかし、総じて今回の旅は宿の質に恵まれた旅だったと思う。
さて、今日は最終日。
名古屋からは無心で東海道を東に向かおう。
しかし、その前に・・・
ひのとり、再び・・・!
しかも今度は最前列。
やはり最高だぜ。
しかし、先頭で難波から名古屋までかぶりついていたわけだが、
多くの人がカメラを向けたり、ちびっ子たちが手を振ったりしていたことが印象的だった。
鉄道に興味がない父親でも、出張でひのとりを見かけた時に「かっこよかった」と言っていたし、
これは近鉄のデザインセンスの大勝利といえよう。
近鉄のフラッグシップとして、末永く活躍して欲しいものだ。
初回は高級感漂いすぎて浮かれていたが、流石に2日連続2回目のひのとり乗車となると、勝手がわかった。
【ひのとりのプレミアムシートに優雅に乗車するコツ】
①乗車直後に、まずはロッカーに貴重品以外の荷物を入れてしまう。
②デッキでホットコーヒー(200円)を買ってから、座席に向かう。
この2つのポイントで、周りに差をつけよう!
近鉄名古屋駅5番線に入線中に撮った写真。
照明が青くなっていて、雰囲気がもはやエロい。
さて、あとは無心で東へ・・・の前に腹ごしらえ。
どうせなら18きっぷがあるので、JRの駅近にある前から行きたかったお店に行くことにしよう。
思い出の近鉄・JR乗り換え用改札で18きっぷにハンコ押してもらって入場
何気に18きっぷに「近鉄名古屋」のハンコって、レアじゃない??
名古屋から中央線に乗って鶴舞へ、そこから徒歩で10分ほど・・・
HIROSHIというパスタ屋さんへ
前日にライブに行ったアーティストのメンバーお気に入りのお店で、
ここの「魔女」というパスタが自宅で再現するくらい好きなのだそう。そしてそのレシピをファンクラブ限定ブログにあげているという・・・。
魔女と唐揚げ
これは・・・初めて食べる味だ。
スープパスタの様で、このスープがバジル味なのだけど、和風っぽさもあって・・・いくらでも飲めちゃう感じ。
器持ってグビグビといきたかった。流石にしませんでしたが。
今度、再現レシピ真似してみよう。
さて、これで今度こそ無心に東進の時間。
中央線で金山に戻り、そこから快速で豊橋へ。
豊橋で乗り換えて浜松へ。
・・・と、ただひたすらに、来た東海道線に乗ることを繰り返す。しかも豊橋以東は(基本的には)普通のみ。この無限地獄よ・・・
でも今回は浜松で併合作業が見られたってことはプラスかな。
この一本後に浜松発沼津行きという長距離列車があったが、これに乗ると2時間半座りっぱなしなのが逆にキツい。
18きっぷの旅のコツは「適度に動くこと」にあることにあると個人的には考えている。
なので、併合作業したこの電車(興津行き)に乗って静岡で乗り換えることにした。
静岡で熱海行きに乗り換え
これで熱海まで行けるとのんびりしながら沼津駅に着くと、
向かいのホームに見慣れたE231が・・・
これはと思い降りたのが大正解
沼津始発の宇都宮行き
これで茅ヶ崎まで一本。やったぜ。
19時半すぎに茅ヶ崎着
そのまま相模線にのって北上してもよいのだが、いかんせんあの夜8時制限がある。そろそろ飯を食わねば。
思えば今日も鶴舞でパスタを食べてから座ってばかりなのに、こうしてお腹が空く。・・・人間の身体とは不思議なものである。
しかし、1人旅の際に移動を優先しすぎて食事を後回しにする癖がある自分にとって、この判断は大きな進歩である。
しかし、何を食べようかな、牛丼屋はあるだろうけど・・・流石になぁ、と思っていたら・・・
「あほや」がある・・・だと?!
大阪で一人暮らししていたころ、近所にお店がありちょくちょく買って食べていたお店だ。
関東にも何店舗かあることは知っていたが、まさか茅ヶ崎にあるとは・・・
大阪行ったのにたこ焼き食べてなかったし、ちょうどいいやということで、
たこ焼き(しょうゆ味)とペチャ焼きの「いつもの」セットを買い、茅ヶ崎駅前のベンチでいただいた。
最後に懐かしさを感じることができる旅になるとは・・・思いもよらなかった
これだから旅ってやつは・・・!